御堂筋の歴史

御堂筋周辺の建物は高さ百尺(約31m)までに制限され、整然とした景観がつくられました。 現在は地区計画により高さ50mで軒線を揃え、統一感のある美しい景観として更新されています。 御堂筋は、大阪を代表するまちなみ、ストリートとして市民に愛されています。

安土桃山~大正期の御堂筋

1921年(大正10年)ころ

大阪は船場地区を中心に発展しました。1595年に南御堂、1597年に北御堂が創建され、 1598年から城下町整備が行われました。
水運が発達し、江戸期を通して「天下の台所」として発展した大阪(当時は大坂)の道は、大 坂城へと続く東西の「通り」が主要動線で、当時の御堂筋も、多くの問屋が軒を並べる賑や かな筋でしたが、幅がわずかに3.3間(約6m)と、とても狭いものでした。
明治期においても東西軸である「通り」が交通の中心でしたが、梅田と難波に駅ができると、 南北軸の必要性が高まりました。

建設当時~完成直後の御堂筋 (1930年着工~ 1937年5月11日完成)

1937年(昭和12年)ころ

1930年に御堂筋拡幅工事を着工しましたが、道路拡幅工事(3.3m⇒44m)に加え、電柱の完 全地中化、地下鉄同時開発という壮大なプロジェクトでした。
地下鉄の車両は牛に引かれて運び込まれましたが、物珍しさに大勢の見物人でにぎわいました。
長期にわたる難工事の末、御堂筋は完成します。4列のいちょうの木が植えられ、ゆったりとした歩行者空間は人々を驚かせました。

1950 ~ 80年代の御堂筋(高度経済成長~)

1965年(昭和40年)ころ

1950年に戦後の建築制限令が解除されて以降、御堂筋は大阪の戦後経済復興のシンボル として発展します。
1960年代の高度経済成長期には、御堂筋沿道でビル建設ラッシュがありました。そこでも百 尺制限は守られ、美しいオフィス街を形成しました。
1970年に交通量増加に対応して、御堂筋は南側一方通行になりました。
金融機関の御堂筋への集積等もあり、1980年代には関西一のビジネスゾーンとして認知され ました。

1990年代~現在の御堂筋

現在の御堂筋

1990年代半ばになると、経済状況の後退に伴い、美しい景観形成を保ちながらの御堂筋 再生への議論が高まりました。1995年のまちなみ誘導に関する指導要綱により従来の31m 規制が軒線50m・建物の最高高さが60mまで緩和され、その後も2014年の地区計画による 緩和により、建替えが少しづつ進んでいます。
近年では、沿道ビルの低層部にカフェやショールームが出店するなど、オフィス一辺倒だった 街に新たな賑わいをみせるようになりました。